結城 健雄 (初代 会長)

 商工会議所青年部の結成が日本商工会議所の主唱のもと、全国的にすすめられ、当所においても若手経済人のさらなる活動を期待すべく設立を機関決定し、平成4年12月5日に設立総会を開催、初代会長には結城会長が選出された。平成5年3月には、先進地視察研修事業として五泉商工会議所青年部を訪問し青年部諸事業について研修を実施した。
  林 政由 (第2代 会長)

 全国商工会議所青年部連合会並びに新潟県商工会議所青年部連合会等に加入し、諸事業に積極的に参加した。また、総務、経営研修、ふるさと開発委員会の3委員会を設置し、より一層の事業推進を図った。平成4年より実施された「あがの川大花火大会」に協力するなど青年部活動の一環として様々なイベントに協力した。
  松井 信行 (第3代 会長)

 会員企業がお互いの仕事を理解し、仕事の面でも協力しあい、また会員はもとより全国の商工会議所を通じ、商取引の紹介、斡旋、信用調査等に活用されることを目的に、「会員企業ガイドパンフレット」を発刊した。平成7年1月に発生した阪神大震災に対し義援金を募り、会議所会員や青年部会員等より寄せられた義援金約136万円を旧新津市を通じ寄付した。
  水谷 豊 (第4代 会長)

 交流事業として、広域的ネットワークを結び、近隣YEGとの連携と人物ネットワークの構築を図るため、観光先進地の会津若松商工会議所青年部と交流会を開催した。JR東日本新津車両製作所の操業を契機に工場見学と所長との懇談会を実施した。この年、青年部の卒業者より青年部活動の支援、協力を目的に新津商工会議所青年部OB会(現:賛助会)が設立された。
  齋藤 真史 (第5代 会長)

 会員のスキル・知識の向上を目的とした経営セミナーを3回開催した。交流事業として会津若松で開催された東北ブロック大会に参加するなど他YEGとの交流を積極的に図った。また全国都市緑化フェア研究会、全国大会誘致委員会を設置し、次年度以降の青年部活動の基盤を整備した。
  樋口 忠男 (第6代 会長)

 旧東洋館の利用企画書を作成し、行政(旧新津市)へ提案。100回を越える会議を重ね、旧東洋館の利用方法について検討した。インターネットセミナーを3回開催し、会員が情報化社会に対応するための支援セミナーを開催した。会津若松YEGを招いてミニブロック大会、交流会を開催した。SLC57を走らせる会が発足し、青年部会長が幹事となった。
  大内 公夫 (第7代 会長)

 この年の8月1日〜10月18日の2ヶ月半にわたって開催された「第15回全国都市緑化にいがたフェア新津会場」において、地域社会のさらなる発展と青年部活動のPRを目的として、ブース内に飲食店「YEGショップ」を出店した。また、旧東洋館を活用したイベントとして、北信越ブロック青年部と連携したYEG特産展など、様々な企画を実施した。
  荻野 構一 (第8代 会長)

 第19回商工会議所青年部全国大会が11月11日〜13日の3日間、新潟市において開催された。当単会から実行委員会へ部会員10名を選出した他、鉄道のまち新津のPRを目的に第3分科会を誘致、新津地域学園で瀬古龍雄氏による基調講演、JR新津運輸区でSLC57の見学会を実施し、全国から約300名の青年部会員が新津を訪れた。
  海津 太成 (第9代 会長)

 空き店舗対策事業のひとつとして、商店街の空き店舗を利用した実験的店舗の開設を商工会議所に提案。店舗の運営主体として9月から商店街の一角に「まちの駅"ぽっぽ"」を開設。休憩コーナー、物産コーナーなどを常設するほか、「新津まちなか劇場」をはじめ様々なイベントを開催した。
  五十嵐 隆一 (第10代 会長)

 当新津商工会議所青年部が設立10周年を迎えたことを受け、創立10周年記念式典を新森(新津本町4)にて大々的に挙行。来賓・来場者等を併せて総勢100名を超える盛大な記念式典となった。 また、前年度にオープンした「まちの駅"ぽっぽ"」の更なる活性化を図った。
  伊庭 博 (第11代 会長)

 平成9年に青年部として携わった「旧東洋館」の活性化に着手。午前、午後の部合わせて年10回にも及ぶ「寄席」をこの場所で実施。新津市内外より多くの人を商店街に呼び込んだ。また、新潟市と旧新津市が市町村合併を検討している状況の中、市町村合併に関する市民向け講演会を実施。一般市民の関心を高めた。当青年部内でも会員を対象とした市町村合併に関する「勉強会」や「意見交換会」を数回にわたり実施し、活発な討論を行った。
  斎藤 剛 (第12代 会長)

 歴史ある「鉄道の町にいつ」のシンボル的存在であった新津駅舎が取り壊され、新たに橋上駅として生まれ変わった。当青年部としても新津駅完成祝賀イベントに参加し、当日の祝賀ムードの盛り上げに貢献した。  この年の11月〜2月末までの間は、新潟市との市町村合併について歴史的な激動期となった。
  坂爪 正幸 (第13代 会長)

 この年「7.13新潟豪雨災害」「10.23中越地震」と、新潟県を中心として立て続けに大規模自然災害が発生。県内の青年部はもちろんの事、全国の青年部と連携をとりながら、現地での復旧活動に力を入れた。  また、新・新潟市が政令市へ移行した際に、小須戸地区の経営者等とスムーズな連携が図れるよう、小須戸商工会青年部との交流会を初めて実施した。
  原山 博臣 (第14代 会長)

 低迷する経済状況の中、新津YEGの組織基盤もそれに伴い弱体化。こうした状況を打破するために、青年部規約の改正に着手すると共に、会員拡大を強力に断行。在職中は新規会員数が20名を超えた。新津商工会議所青年部で初となるスローガンを掲げ、会員の総力を結集して「新生・新津YEG」の基礎を築いた。

※平成10年度 新潟県商工会議所青年部連合会会長を歴任
  加藤 克己 (第15代 会長)

 単会の活動に重点を置き、会の活性化を図った。特に委員会活動の活発化に努め、各委員会ごとにテーマを決めて例会を実施した。
 また、新津YEG初となる海外研修も実施し、台湾企業との意見交換会を行なった。国際社会の一員であるべき国際人としての教養を高めた。
 この年、H21北陸信越ブロック大会が新津YEG主管で開催されることが決定した。
  坂井 一欽 (第16代 会長)

 北陸信越ブロック大会の実施に向け、実行委員会を組織。各地で開催された大会へも積極的に参加し、H21北陸信越ブロック大会新津大会のPRに尽力した。
また、日本YEGへ出向し、新津YEGとの調整役として大きく貢献した。

※H21年度 北陸信越ブロック商工会議所青年部連合会会長を歴任
  馬場 一也 (第17代 会長)

 新津YEG会長とブロック大会実行委員長を兼務し、新津YEG会員を一つにまとめ「北陸信越ブロック大会新津大会(H21/10/16・17開催)」を大成功に導いた。
2月には初めての試みとなる新津JCとの合同講師例会を実施した。
 また、中心市街地活性化策の一環として開催された「ハロウィン仮装まつり」や夏と秋に開催された「新津あおぞら市場」へも積極的に協力し、イベントの盛り上げに尽力した。
  井上 宣也(第18代 会長)

 「昔の活気を取り戻そう」をスローガンに、新津の中心市街地を盛り上げようと、空き店舗を活用し「駄菓子や昭和基地一丁目C57(しごなな)」を開設。店内では、様々なイベントを企画し、子供から大人まで楽しめるお店として地域に密着したお店づくりを展開。開設わずか9ヶ月余りで来場者が3万人を達成した。
  龍太郎(第19代 会長)

広報誌「YEGのしんぶん」発行や「YEGブログ」の立ち上げなど内外へ広く新津YEGのPRを行った。
 また、昨年度開設した「駄菓子や昭和基地一丁目C57」では一周年セレモニーやC57まつりなど積極的にイベントを開催し、全国から84事業の応募があったYEG大賞では、C57事業が見事準グランプリを獲得した。
  遠山 達也(第20代 会長)

新津YEG創立20周年記念大会を開催。「鉄道の街にいつ」をPRするという1つのコンセプトを設け、青年部プロデュースの秋葉区鉄道系アイドルSLC57のライブステージや、鉄道の街づくりには欠かせない0番線駐車場を利用しての祝賀会などを企画立案し盛大に開催された。
 またSLC57は年度末まで区内外のイベントに出演し活躍したほか、新津名物「しごなな焼」販売にも力を入れ、鉄道の街にいつの復活に向けた推進活動に努めた。
  井浦 伸行(第21代 会長)

昨年、結成された鉄道系アイドルSLC57のラストライブを開催した他、「深めよう新津YEG」をテーマに単会内部の活性化に重点をおいた事業を実施。異業種の経営者集団という事を再認識させ、互いの持っている知識を学び研鑽できるセミナーを数多く開催した。また、各種イベントにも積極的に参加し、地域との繋がりや交流を深めた。
石月 勝(第22代 会長)

新潟薬科大学の新キャンパスが駅前に開設される事に伴い、商店街の活性化を視野に入れながら、モニター事業(学生消費動向調査)の実施した。またTVでお馴染みの「出張!なんでも鑑定団in新津」を誘致し盛況裡に終えるなど地域活性化に尽力した。
また、26年度は新津YEGより加藤克己君を新潟県連会長として輩出し、県連事業にもメンバー一丸となってサポートした。
  関口 浩(第23代 会長)

「内を知り 外で交わり その先へ」のスローガンを掲げ、富士登山を通して新津YEGの結束を深め、そのほか4単会ソフトボール交流大会や亀田YEGとの合同研修会を通して近隣YEGとの親睦を深めた。特に新潟薬科大学との新しいまちづくりビジョンの構築をメイン事業とし、まちの経済の発展を目指した。
  坂上 信也(第24代 会長)

青年部活動をしていく上で改めて青年部の存在意義を見つめ直し、地域に必要とされる団体であることを再確認するため会長経験者を講師として内部研修会を開催した。家庭は円満で幸せに、会社は順風満帆に、地域社会は更なる発展と活性化を達成するために自己研鑽の一助を提供し各事業を進めた。そのほか日本YEG出向者を3名、県連YEGでは交流委員長を輩出した。

   

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